おさしづ配信

心に理が治まらねば

月々の席、もう一箇月済んだと思えど、心に理が治まらねば何にもならん。何ぼ席々と言えど、心の理によってこうのうがない。席をして順序運べば、さづけは渡そう。なれども落す日もあるやろ。これ知れんで。(明治22・11・25)
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止める心あれば止まる

止める心あれば止まる。冷やす心あれば冷える。直き直きの事情を直ぐと聞かすがよい。(明治23・11・24)
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神の道はきれいな道

何でも神の道は綺麗な道や。綺麗に聞かして満足、めんめん事情それぞれ運ぶ処、満足治めにゃならん (明治23・11・22)
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誠は尽きん

誠は尽きん、尽きんが天の理。…どんなもの作るにも旬々という。誠さえ十分固めてあれば、何も案じる事は一つも無い。誠薄ければ種が失う。(明治23・11・21)
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人間心

人間心とは、神様のみ心にピタッと添えない心のことで、素直になれない心、逆らいたい心、疑い案ずる心、勝手の心、わが身かわいい心でしょう。その人間心が栄えて、はびこれば、神様が見ていられなくなると言われます。そうなると、しやんせよをやがいかほどをもふても神のてばなれこれハかなハん(おふでさき一号61)というお言葉もあるように、神の手離れで、身の内の守護が切れてしまっては、生きていくことさえできなくなります。人間心というやつは、しぶといものです。日々、心の成人に努めていても、なかなか消え去るものではありません。人間一代だけでなく、二代、三代、と代を重ねて、消す努力をすべきなのでしょう。人間心をなくすには、自分を捨てておたすけをするのが一番です。わが身どうなっても人をたすける心、これが人間心をなくしてくれます。おたすけでも、死線をさまよう容態の人のおたすけにかかるには、全く自分を捨ててしまわなければなりません。人をたすける場に身を置くことが、人間心に負けないようにするには大切なのですね。(渡部与次郎、「おさしづに学ぶ - 朝席のお話」、天理教道友社)