おさしづ配信

小さきもの大きく成るが理

おさしづ配信

「大層は要らん。小さい所から掛かる。小さい所から大きい成るが理。大きい事すれば皆勇むであろう。それでは日々の事情が重なる。よう聞き分け。頭から大きい事情は望まん。小さい所から掛かるなら、生涯の理が治まる。小さき事情によって天然の理という。小さきもの大きく成るが理。」(明治23・2・16)

普請にかかわるおさしづの、ほとんどに繰り返しておっしゃっています。小さいものからかかれ、無理をするな、と。社会でも、無理をして大きな普請をして、倒産したという話はよく耳にします。
おぢば周辺は信者詰所がいっぱい並んでいます。その範囲はどんどん広がっています。大変な面積です。ご本部所有の土地だけでも、かなり広いものです。元はと言えば、教祖が、中山家が伏せ込んだものです。それが今日、枝を伸ばしているのですね。
愛町分教会も、何百億円になるかという地所に恵まれていますが、これとて、初代会長様伏せ込んだからこその今日ですね。愛町は十八畳から始まったのでした。
愛町に人が寄るのは、それだけたすかるからですが、それは、一つには伏せ込みの土台があったことと、もう一つは、初代会長様がものを生かす名人であったからだと思います。どんな人でも、どんな物でも、生かして、伸ばして、増やしていく心に種まきをなさったのでした。
おにぎりよりは小さい柿の種がよい。
おにぎりは今食べられるし、大きい。柿の種は小さいし、今食べられない。けれども、まいたらやがて芽が出て、八年もすれば実を結ぶようになり、毎年その数を増やしていきます。
お道の人は、今食べるものを減らしても、生活を一段落としても、将来末代のために種をまこう、伏せ込もうと心掛けるのが、一般の人々と違うところでしょうね。またそうしなかったら、悪いんねんを減らし、徳を積むなんてできるものではありませんね。
両手に花、とはいかないものです。何かを捨てて、将来末代のためにその分を種にして伏せ込むので、小さいものが大きくなっていくのですね。天然自然、成ってゆく理をわがものにできたら心強いですね。わが心が神様の思いと一つになれば、それも可能となります。(渡部与次郎、「続おさしづに学ぶ – 朝席のお話」、天理教道友社)