2022-12

おさしづ配信

たんのう

「一寸上面身の処不足なって、神さん頼んで救けて貰ろた、といは、それだけの理。物を入れて包んであるようなもの、だんだん分からんように成る。…前々より二度三度の諭し、あらあらの処は浚えた。浚えば水も流さにゃならん。流せば溜まる。溜まれば浚えにゃならん。…日日の理を治めるなら、一つたんのうの理が無けりゃならん。たんのうは改めた心の理…。」(明治24・1・30)
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残念

「残念の理ほど怖わいものは無いで。残念の理一代で行かにゃ二代、二代で行かなゃ三代、切るに切られんいんねん付けてある。これは退くに退かれん理によって。なれど神に切る神は無い。なれど切られる心はどうもならん。仇言にも捨言葉神は大嫌い。」(明治24・1・28)
おさしづ配信

世上の道と神の道

「事情の道とは世上の道、神の道は胸の道。世上の道はどんな事して居ても、目にさえ見えねば通りて行ける。なれど胸の道は、皆身に掛かる。道に二つある、世上の道、胸の道。世上の道には、どんな穴が有るやら知れん。又剣が有るやら知れん。神の道は、胸三寸の道であるから、通ろうと思うても通れん。これさえ十分説き聞かせば、どんな事も皆治まる。」(明治24・1・27)
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心に刻みつけること

「事情に善いと思うても悪い事もある。悪いと思うても善い事もある。一度二度三度まで聞いて思う処、これと思えば、それで心に押し付けてしまうが善い。」(明治30・1・26)
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往還道は危ない

「大道大道と言う。どういう怪我無いとは言えん。往還道は踏み被り無い筈なれど、心に油断があるから踏み被ぶる。何ぼ細い道でも、心一つの理さえ治まれば踏み被りは無い。」(明治27・1・25)