おさしづ配信

朝の晴天

おさしづ配信

「どうもならん一日の日ゝ、さあさあ朝の晴天という。一夜の事情どんな事情もあるか分からん。…どちらで尽すも同んなじ勤め方、内も外も出て運ぶが同じ事、同じ事情、何も心に掛ける事はいらん。」(明治23・2・15)

お道ではよく、”一日生涯”と言われます。一日一日を一生と思って、その日できることはその日にしてしまうようにして、寝る時は死んでも結構と、悔いなく生きるように、ということでしょう。
そうであれば、前日何があろうと、翌日は晴天の心で起きることができるでしょうね。寝てからでも何が起こるか分かりませんが、何が起ころうとも、寝る時間が大変減っても、やっぱり同じく朝は晴天の心で迎えることができるのですね。そして、生きていたら、改めて感謝と喜びを、朝づとめの時に表明させていただくことができます。
神様のご用はどんなご用であろうと、どこでつとめようと、すべて同じご用です。分け隔ても、好き嫌いもあってはならないのですね。
「何でも親と言う理戴くなら、いつも同じ晴天と諭し置こう」(明治28・10・24)というおさしづもあります。朝・昼・夜、みな晴天の心で通れる秘訣は、ここにあるのでしょうね。この晴天の心でやったら、何をやってもうまく行くでしょうね。(渡部与次郎、「続おさしづに学ぶ – 朝席のお話」、天理教道友社)