2024-05

おさしづ配信

通り抜けようという精神

「最初にどうしょう知らんと言うと日を思えば、今日は何も言う事は無い。道という理を聞き容れず、代々通りたなれど、それ/\治まった理は天に受け取ってある。世界理で映さんならんから働いて居る。応報の理として許したる。さあ/\どんな事でもやり抜けようという、通り抜けようという精神さえあれば、どんな事でも、今日の日は通り抜けられるものである。」(明治32・8・5)
おさしづ配信

たんのう

「日々通る年々通る処に、一寸世上皆通る処にたんのと。それ身の処に一寸不足あると、案じる。そこで、一つたんのうとして心を治めと。」(明治23・8・2)
おさしづ配信

天然自然

「天然自然の道というものは、一つ踏んだら一つ、二つ踏んだら二つ、三つ踏んだら三つ。これは一寸も動かん。」(明治20・7・26)
宇仁会報

宇仁会報2024年5月

おさしづ配信

外の道は通れん

「めんめん真実誠一つの理を立て、艱難の道も忘れてはどうもならん。世上明るい道でも何時暗がりとも分からん。これまでの道を忘れぬよう。忘れさえせにゃよう/\の道は許してある。神一条より外の道は通れようまい。一度は通る、二度は通る、三度は無理に通る。神一条さしづより外の道を通る者は分けて了え。」(明治24・7・23)