おさしづ配信

空の理を楽しむ

「人の出世楽しんでくれにゃならん。ほんにこれでこそ道の理かと、楽しんでくれてこそ道であろ。人は出世怨み嫉みは道でない。空を見て、空の理を楽しむなら、日々近づく理である程にある程に。」(明治32・2・2)
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心次第の道

「一言の理は万言の理に当たる。…この道は心次第の道。一条の道を万筋に通るは皆心という一つの理から出る。…ようようにをいある間に結んでくれ。にをい褪めてからはどうもならん。皆千切れ千切れである。千切れ千切れになりてからは、容易な事では繋がれん。…あの者には義理や、この者は放って置けん、という人間心の理から世界の曇りとなる。数々の曇りは皆この理一つにある程にある程に。」(明治30・2・1)
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心一つで道が道にならん

「身上に一寸心得んと言えば、何でも彼でも案じ出て、この道のため出て居るのになあ、この事情必ず持たず、これまで皆話したる。…人間という一代と思うたらどうもならん。…何ぼ一条の道といえど、時々心理にて道は道にならん。人間心の理にて身上迫る理も同じ事、よう聞き分けにゃならん。人間の理というは、どんな理あろうとも、心の理より残らせん。」(明治31・1・31)
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たんのう

「一寸上面身の処不足なって、神さん頼んで救けて貰ろた、といは、それだけの理。物を入れて包んであるようなもの、だんだん分からんように成る。…前々より二度三度の諭し、あらあらの処は浚えた。浚えば水も流さにゃならん。流せば溜まる。溜まれば浚えにゃならん。…日日の理を治めるなら、一つたんのうの理が無けりゃならん。たんのうは改めた心の理…。」(明治24・1・30)
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残念

「残念の理ほど怖わいものは無いで。残念の理一代で行かにゃ二代、二代で行かなゃ三代、切るに切られんいんねん付けてある。これは退くに退かれん理によって。なれど神に切る神は無い。なれど切られる心はどうもならん。仇言にも捨言葉神は大嫌い。」(明治24・1・28)