おさしづ配信

改良せねばならん

おさしづ配信

「道に流るる水を、途中で理を揚げて了えば、育つ事出けん。いかなる者でもこの話を聞いたら改良せねばならんで。…話を楽しませ楽しませ、長い道中連れて通りて、三十年来寒ぶい晩にあたるものも無かった。あちらの枝を折りくべ、こちらの葉を取り寄せ、通り越して来た。神の話に嘘は有ろまい。」(明治29・3・31)

人間だけでなく、万物生命あるものは、水がなければ生きていけません。お道の上では、水は情ということになっています。水がなければ育たないのと同じく、情がなければ人間も育つことできません。
日照りが続いて水がなくなるのも、それで困る人は思いやりが情が足りないことを反省しなければなりません。恩返しの心、感謝と喜びの心が足りないことにもなります。便秘もまた、身体の中の日照りみたいなものです。
困ることによって心得違いに気づかせていただき、心を改良させていただけるのはありがたいことです。“たすかりたい”から“たすけたい”の人へ、子供から親へ成人させていただけるように、心を改良しなければならないのですね。
ここには教祖のご苦労についても述べられています。その元一日を思えば、いかなる者も心を改良せねばならなくなりますね。
このおさしづは、いわゆる秘密訓令による迫害の始まる年に出されたものですが、教祖のご苦労を思えば、ものの数ではありませんね。(渡部与次郎、「続おさしづに学ぶ – 朝席のお話」、天理教道友社)