おさしづ配信

旬に立ち帰る

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「旬に立ち帰って心治まるなら、明らかなもの。旬を外してからは、どうもならん。」(明治31・3・19)

春になれば、草木が一斉に芽を出します。やがて花が咲き、実がなります。ところが今は温室栽培が盛んで、季節がずれてきて、一年中四季のないような、季節感を伴わぬ野菜や果物が出回るようになりました。でも、それはそれなりに温度に合わせた旬があり、旬を外しては、やっぱり全然収穫できない結果になったりします。
「旬に立ち帰って」とは、元一日に戻ってという意味にも取れます。事に当たって、時々元一日に戻って、心の再出発をしてかかるということが本当に大事ですね。
元一日に立ち帰るのは、一つには、恩を忘れて慣れ名人にならぬように、という意味もあるのでしょうね。初心を忘れず、ということもありますが、恩を忘れたら運命が下がっていき、行き詰まります。そうならぬために、旬に立ち帰ることがちょいちょい必要なのですね。
おたすけにおいても、相手の人にちょいちょい旬に立ち帰っていただくことが必要になります。自分自身にも必要ですが、それと同時に相手にも、そうなっていただく新たな旅立ちがちょいちょい必要です。
草花にもちょいちょい水をかけないと枯れるように、ちょいちょい肥をかけねば立派に育たぬように、人間にもちょいちょい声をかけて、旬を外さぬように丹精させていただくことが本当に大事ですね。
相手がおたすけできる人になるまで、決して心を離さぬことが必要です。母親が、わが子の為なら食べなくても、寝なくてもという真実誠をかけるように、わが身わが家のことは後回しにしておたすけ先を優先して、心をかけて通ることです。
旬を外すと“しまった”ということになるかもしれないので、本当に油断ができませんね。“たすかりたい”から“たすけあい”に変わったら、もう大丈夫ですが、それまで目を離してはいけませんね。(渡部与次郎、「続おさしづに学ぶ – 朝席のお話」、天理教道友社)