おさしづ配信

一すじ心

おさしづ配信

「中に一つの心で、一条(ひとすじ)の糸なら切りゃせん。なれど、あちら結びこちら結びては、何時どういう事にもなるやら分からん。細い糸でも、一条程堅いものは無い。一条の道やなくばならん。なれど、あちら結びこちら結び、何程大きい綱でも、ほどけたらばらばら。」(明治34・3・22)

人間創造の昔、親神様は、たくさんのどじょうの中にうをとみとが混じっているのを見られていた。そして、夫婦の雛形にしようと、まずこれを引き寄せ、その一すじ心なるを見澄ました上、承知をさせて貰い受けられた。こう「元初まりの話」にあります。ですから、本当の人間は一すじ心の人でなければならないのですね。
愛町の初代会長様は「朝づとめに一人、夕づとめに一人と、家の中から代表が出て、土地所の教会に参拝するようにしないと、何をやってもうまくないという日が来るんだよ」とおっしゃいました。「信者さんだけでなく、やがて世界中がそうなってくるんだよ」ともおっしゃいました。まだ先のことではあるとしても、その日の来るまで、朝づとめ夕づとめを重んじて、日参する人が増えてほしいなと思います。
三日坊主のYさんは、やがて一週間、やがて一ヵ月、やがて三ヵ月、やがて一年、やがて三年と、とうとう欠かさず日参したら、家の中の悩みが二つ消え去りました。一日も欠かさずということは、一ヵ月でも大変です。それを三年続けるのはさらに大変です。一日欠けたらやり直しです。この日参一つでも、一すじ心で十年続けた、二十年続けた、三十年続けたとなると、本当に、ばかにならぬ力となります。
年限とともに、日参だけでなく、おたすけを欠かさぬ、おさづけを欠かさぬというところまで一すじ心が貫かれたら、心の成人は大きく成し遂げられていくことでしょう。
一すじ心の権化とも言える人はご本席でしょうね。奥さんの産後の患いをたすけていただいてから、生涯そのご恩を忘れなかっただけでなく、そのご恩返しに日々月々年々足を運び、やがて一家でおやしきへ移り住んでつとめられたのでした。
だからこそ、教祖のあとを継いで、二十年にわたって天啓を取り次がれるご本席となられたのでした。本当にすばらしいお方ですね。まねをする人が出てきてもらいたいものです。(渡部与次郎、「続おさしづに学ぶ – 朝席のお話」、天理教道友社)