おさしづ配信

先に定めてすれば

「どんな所でも話するは八つのほこり、又いんねん為す事諭して居る。いんねん諭する事、他に事情成程という道初めにそれぞれ付いて、先々と言う。よう聞き分け。諭す中に内々理あるによりて、これ聞き分け。いんねん諭して先に諭すれば、いかなる事も自由。又めんめん諭す処から、めんめん先に定めにゃならん。先に定めてすれば皆自由そこにある。」(明治26・12・24)
おさしづ配信

教祖の理を思え

「これまでの処何ぼ働いたて、暮れた教祖の理を思え。存命の間楽しみの理もなく、理を見ず暮れた教祖の理を見よ。働けば働くだけ、めんめん心に誠さえあれば踏み損いは無い。これ諭したら分かるやろう。働いたら働いただけ、これから見えるのや。」(明治30・12・23)
おさしづ配信

理は柔らこいもの

「国で一人でも誠の理をあれば、この元から芽が吹くと言うであろ、と。……だんだん一年二年の理で大きに成る。……理柔らこいものや柔らこいものや、柔らこいものでも堅とうに成る。どう言うて来るも、こう言うて来るも、掃除掃除、一つの道や。どんな事聞こか、胸掃除一条の模様しや。」(明治21・12・22)
おさしづ配信

心の式

「一寸仮に大きい事してはならん。式という、心の式を行え行え。表の式は要らん。心の式を行えば、何も仔細は無い無い。」(明治34・12・21)
おさしづ配信

神一条の道は十分通す

「さあさあ神一条の道は、さあさあ十分通す十分通す。さあさあ僅かの間、日が近づけばさあさあ皆々分かる皆々分かる。…さあさあもうこれから先の道は、危なき怖わきは無い程に。さあさあ一条道は何時にても自由自在なれども、さあさあなれど天然自然の道である道である。」(明治21・12・20)