おさしづ配信

一日生涯

おさしづ配信

「人間というは、その日その日の道しか無い。神が付けた道はころっと変わった道。…勝手というはどうもならん。勝手というは、人間心の道であるから一寸にはよい。なれどいついつまでも治まらん。」(明治24・5・8)

その日一日で終わりかどうか、だれにも分かりません。ですから、“なに、一日ぐらい”と軽くするわけにはいかないのです。一日切れ目があったらそこで終わりなので、一日一日がつながってこその一生です。
ですから、悔いのない人生を送ろうと思ったら、悔いのない一日をまず送ることです。明るく、陽気に、勇んで、人をたすける心になって通るのが本当の人間なのですから、一日たりともおたすけの心を離してはなりません。離したら、その日は人間なかったことになります。
昨日、Mさんがご主人をお連れして見えていました。ご主人は三日と続けて休みを取れないのだそうです。週休二日のところが多くなっていますが、そんなところもあるわけです。
以前この布教所へ来たフランスの青年は、会社から一年間休暇をもらって、世界一周旅行の途中だったわけで、一年も休暇を取れると聞いて驚いたことでした。日本人は働き過ぎると言われているので、一年とまではいかなくても、一ヵ月なり三ヵ月、自由に休みが取れるようになるべきでしょうね。
Mさんは、「お道のお話を聞くのが楽しくなってきた」とおっしゃっていました。親戚の人が病気がちになっているので、おたすけをしたいと思えば、聞き方も違ってくるのですね。真剣になるには一つの旬が必要なのでしょうね。
とにかく一度耳に入ったら、どうでもこうでも、お道でなくては通るに通れぬ日が来るのだとお聞かせいかせいただきますが、本当にこの道は自分が開くのではなく、引き寄せられ、聞かされる道であると言えるでしょうね。
毎日“忙しい、忙しい”で、馬車馬のごとく生活に追われて通っているうちに、いつしか老いさらばえて、草場に宿る朝露のごとくぽろりと逝ってしまった、では、ちょいとならず寂しいのではないか。そんな気がしませんか?
毎日世のため人のために尽くす喜びを見いだし、喜びに喜びを重ねていける人は、苦労があっても、なお喜びが大きくなるものです。通る形は似ていても、心の中は天と地の違いがありますね。地獄と極楽の違い、と言ってもいいかもしれませんね。(渡部与次郎、「続おさしづに学ぶ – 朝席のお話」、天理教道友社)