おさしづ配信

誠一つ自由自在

おさしづ配信

「先々案じあるから、自由自在一寸身の内の処不足出来る。そこで案じ一つも要らん。成り行くよう、誠一つ自由自在。」(明治20・5・10)

先案じをするから、本来自由自在に使わせていただける身体に病気も出てくるのだから、先案じは絶対してはならないですね。疑えば疑ったようになり、案じれば案じの理が回るので、疑う心も先案じの心も、大変邪魔になるのに、そこがよく分からずに、疑いも先案じもする人が実に多いですね。これでは自由自在に通りたいと思っても、無理なことになります。
病気が出て身体が不自由するだけでなく、その他の一切にかかわってくるので、案じ、疑い、迷いといったものは、根こそぎ無くさねばなりません。あらゆる一切のことに自由自在に通るためには、まず、以上のことが前提条件となります。
おかきさげに、「誠一つが天の理。天の理なれば、直ぐと受け取る直ぐと返すが一つの理」とありますが、変わらぬ心が証明されるまで、一定の期間が必要でしょうね。
また、人をたすける心も誠の心ですね。人をたすける心が、わが身思案よりも多く、長くなければ、誠真実とまではいかないでしょうね。神様は、その時その場の誠真実も受け取ってくださるけれども、毎日その心が、わが身思案より多く、長くなければ、いんねんが切り替わるところまではいかないかもしれませんね。(渡部与次郎、「続おさしづに学ぶ – 朝席のお話」、天理教道友社)