おさしづ配信

身の内自由自在

おさしづ配信

「得心身の内二つある。一つ二つ分かり難ないから頂く事出来ぬ。心で心で話聞き、成程の一事改正の心を供えて、身の内自由自在のものである。」(明治20・5・17)

身体と得心する心の二つがあって、この二つが一つにならぬ限り、ご守護は頂けません。心を傾けてしっかり話を聞いて、なるほどと思うことの一つでも、心の切り替えを定めて神と約束するなら、身体は自由自在になる、とおっしゃっています。
身体は生命と共に親神様からお借りして使わせていただいているもので、心だけが人間の自由になります。その心が、かしもの・かりものの意味をよく分かって、神様の思召も病気を通して分からせていただき、なるほどと十分納得して、その実行を心に定めて神様と約束するなら、身体は自由自在のご守護を頂けるのでしょうね。
おさづけを取り次がなくてもご守護頂けるのですが、求めるならお取り次ぎも結構でしょう。けれども、おさづけを取り次いでいただかないで、心一つでたすけられる方が望ましいでしょうね。親神様を信じる心に理がはまれば、心一つだけでたすかるのだということを体験できたら、その後のおたすけに大きな自信となるからです。
そこまで行くには、なるほどと納得するだけでなく、病気してよかったと喜ぶ心、感謝する心が強くならねばならないでしょうね。心得違いを教えていただくだけでなく、病気のおかげでこれから先の生き方がはっきりと教えられ、心底喜びと感謝に満ちあふれるなら、おさづけの取り次ぎの必要がなくなることも不思議ではないですね。(渡部与次郎、「続おさしづに学ぶ – 朝席のお話」、天理教道友社)