おさしづ配信

関は神が取る

「さあ/\分からん処には、何ぼ誠説いても誠とせん。何ぼ貫ぬこうと思うても、関があっては登れん。登られんから帰る。帰るのも道ぢゃ。関があるから、邪魔になる。関は神が取るのやで。関さえ取れば、登れるであろう。又関貫こうと思うゃ、余程の長く掛かる。」(明治20・6・28)
宇仁会報

宇仁会報2024年1月

おさしづ配信

積み上げたもの天然

「この道古き処を思えば、精神一つ。精神無けねば、それでは通らヽせん。一点の心では通らヽせん。堅う年々積み上げたものは、天然という/\。急ぐ事要らん。(明治33・6・21)
おさしづ配信

陽気遊び

「陽気遊びと言えば、今日もあちらへ遊び行く、何を見に行く。陽気遊びとは、目に見えたる事とはころっと格段が違うで。」(明治23・6・20)
おさしづ配信

心そろうたが自由自在

「急いで掛かれば身に掛かる。…大層と言えば身上に掛かる。…さあ/\どんな物動かすも、持って歩くも、大勢の力で自由自在、皆心の揃うたが自由自在。…もうこれだけ道も弘まった、もう大丈夫と思う。未だ/\十分やない。一寸の掛かりという事情、これからという心を定めて居たら、危なきは無い。十分上れば下るより外は無い程に。」(明治25・6・18)