おさしづ配信

世界の理

おさしづ配信

一つの事情でありて二つ三つの事情ありてはどうもならん。これから鮮やかに一時心というは治められん事はあろうまい。世界の理汲んで、めん/\心弛んではなろまい。(明治27・10・25)

「世界の理」とは、ここではお道以外の世の中の考え方という意味です。人間心、人間思案、あるいはわが身思案、人間考えなど、いろいろありますが、それにとらわれた、教祖の考えとは別の考え方を意味しています。お道の考え方に基づいていないと、分裂したりして、利害得失に左右されたり、感情に支配されたりしてまとまらなく、対立してしまうので、一手一つにまとまるということは難しいでしょうね。
道に社会あり、社会に道あり、とよく言われます。お道の中にも、一般社会並みの考え方をする人もあり、一般社会の人の中にも、お道の人と同じか、それに近い考え方をしている人もあります。
結局、それぞれのいんねんに振り回されるから、社会並みになって、お道の心が弛んでしまったら、いんねんどおりになり、たすからなくなってしまうのですね。(渡部与次郎、「続おさしづに学ぶ – 朝席のお話」、天理教道友社)