生まれ更わり事情聞き分け。いんねん/\の中、世界の中、どんな事情、どんな理も聞きである。身の内事情聞き分け。いんねん前々の事情分かり難ない。よう聞き取ってくれるよう。(明治23・10・28)
この桝井伊三郎先生は後に本部員になったお方ですが、少年時代にお母さんが難しい病気で苦しんでいたので、かなりの距離を教祖の所まで足を運び、たすからんと言われても、やむにやまれぬ心から三度も足を運び、とうとうその真実誠の心をお受け取りいただいて、お母さんをたすけていただいたのでした。
今の人たちには、一押しして駄目ならもう押そうとしない人が多いですね。おさづけを取り次いでいただいても、次の日良くなっていないとすぐ医者へ走るという人が。
診察は早いほうが良いのですが、少なくても三日三晩取り次いでいただいて、その間に心定めを確認し、神様の反応も確認し、十分の練り合いをしなければならないのです。心定めを神様にお受け取りいただいているかどうかが一番大事なのに、おさづけの結果だけを気にして、思わしくなければさっさと病院行くようでは、病院へ行ってもすっきり病気の根が抜けるわけにはいかないのですが、そんな人が多くなっています。
病気そのもの、その症状を良くするだけなら、もちろんお医者さんでいいのですが、お道はその病気を台にして、前生のいんねんやら将来の運命やらも悟り、心の入れ替え、立て替えをさせていただくことができるということ、これがありがたいのですね。
そこまで悟っていくには十分の練り合いが必要です。一回二回では無理なのです。病気になって良かったという喜びと感謝が湧くまでのお話でも、一回二回では不十分なのです。
現代の医学は、まだまだ対処療法が主体で、現れてきた病気の症状を治そうとするのであって、原因をなくそうというところまではいっていません。一本の枝に病気が出たら、その枝を切っても別の枝から病気が出るようなもので、病気が場所を変えたり、時を経て再発したりします。病気の根は取れないことが多いのです。
ところがお道は、根から取ってあげようとするので、しかも変わりにくい心を変えながらということなのですから、ちょっと時間がかかるのです。
病気でも、前生に原因があるものもあります。前生ということは、生まれかわりがあるということになります。
病気からそこまで悟っていけるお道は本当にありがたいですね。そこまで悟れるように、しっかりやらせていただくことですね。(渡部与次郎、「続おさしづに学ぶ – 朝席のお話」、天理教道友社)