おさしづ配信

こうのうの理

おさしづ配信

不自由不自由日々にこうのう尽くすあたゑ。身の不自由がこうのう/\の理をよく聞き分けささにゃならん。(明治22・10・29)

「成る理が難しやない。成らん理が難しい。成らん中より運ぶ中の心がこの理が深きという」(明治22・3・21)というお言葉もあります。
不自由で都合の悪い中も、損な中も、嫌な中も、日々恩返しの心から欠かさず最小限でも尽くし切っていく心、これが大事なんですね。
不自由になって、やりたくてもやれなくなるよりは、わずかずつでも欠かさず日々尽くしていけば、やがてこうのうの理が頂ける日が来ます。まるっきりの不自由には至らずにたすかります。
ところが、忙しいから、こうだから、ああだからと言って、やる時はやってもやらん時はやらん、というふうに、人間の都合本位に通っていると、やがて全然できぬ日が来て、その時後悔しても遅いということになります。
腫れるのは、恩返しの心、感謝と喜びの心が足りないとも考えられます。しびれるのは、血液の流れがうまくいかないということでもあり、思いやりの心、たすける心が足りなかったことにもなります。
身を捨ててこそ浮かぶ瀬もある。この思い切りが悪いいんねんを切り、結局自分をたすけてくれます。(渡部与次郎、「続おさしづに学ぶ – 朝席のお話」、天理教道友社)