おさしづ配信

身の内の錦

おさしづ配信

「一つの身上幾重さんげすれど、どうであろう。一つの身上の理がある。心一つの身上や。身の内の錦は、代々続く。第一心一つを治めよ。」(明治21・7・19)

「身の内の錦」とおっしゃっています。人間をこしらえた親でなければ言えないお言葉ですね。病気がいくら数々あっても、代々恵まれている部分もあるものです。その恩を忘れてはいけないのですね。
代々のいんねんまでお医者さんは治すことはできません。やっぱり自分が心一つの切り替えで治すしかないのですね。
心一つが、しっかり切り替えが定まらないのに、おさづけを取り次いではなりません。おさづけそのものが効くのでなく、神様は心に乗って働いてくださるのです。おたすけ人とたすけられる人とが一手一つの心になった時、初めて取り次ぐことです。ちぐはぐのまま取り次いで、ご守護があるはずはないでしょうね。
しっかりさんげができ、通り返しの心も定まり、病気を通して身の内の錦にも気がつき、感謝と喜びの心が湧いてきたら、もうおさづけを取り次ぐがなくても、治り始めることだってあります。
神様の思召に合わぬため、おさづけの効能が頂けないのに、すぐお医者さんのところに行く人があります。そんな人は、お医者さんで一時は治っても、また再発することが多いでしょうね。とことん練り合って、二人の心が一つになって神様の思召に合った時、初めて鮮やかなご守護が頂けるのですね。
本当は、「言わん言えんの理を聞き分けるなら、何かの理も鮮やかという」 (おかきさげ)というところまで行くほうがいいのでしょうね。(渡部与次郎、「続おさしづに学ぶ – 朝席のお話」、天理教道友社)