おさしづ配信

心に理が治まらねば

おさしづ配信

「月々の席、もう一箇月済んだと思えど、心に理が治まらねば何にもならん。何ぼ席々と言えど、心の理によってこうのうがない。席をして順序運べば、さづけは渡そう。なれども落す日もあるやろ。これ知れんで。」(明治22・11・25)

教祖五十年のひながたの道は、つまるところ、おつとめの完成と、おさづけの理を渡そうという二つに思いがあったと言うことができるでしょう。
つとめとは「かぐら」と「てをどり」であり、つとめ人衆が心を一つに合わせて陽気につとめる時、親神の創造のご守護が現出するという重要なおつとめです。その完成に長い年月がかかりました。
おさづけの理は、これを頂けば、いかに難しい医者の手余りもたすける力を与えられるのですから、実にありがたい宝です。このおさづけの理を拝戴するための九席の別席のお話も、拝聴する人の心次第で、こうのう(効能)が頂けなくなるのですね。居眠りなどするのは、危ない聴き方です。
どんな聴き方をしても、九席の別席を運べば、おさづけの理は渡して下さいます。でも、落とす日もあるかもしれない、と言われます。あまり使わないでいると、理が散ってしまい、落としてしまいます。おたすけをどんどんさせていただいて、自信を得ておくべきですね。(渡部与次郎、「おさしづに学ぶ – 朝席のお話」、天理教道友社)