おさしづ配信

末代の印

おさしづ配信

「身上に障り無うて尋ねようまいと/\。一つ生涯の理を諭しよう。運んだ一つの処、これ末代の印なるという。」(明治22・7・12)

病気にならなかったら尋ねようともしないであろうが、こうして病気のおかげで尋ねてくれるから、生涯の理も諭すこともできるというものである。病気は単なる病気でなく、前生や過去も未来までも、どのように生きてきて、どのように生きるべきかも教えてくれる、その印なのである。こういう意味に思われます。
お医者さんに行っても、病状の手当てはしてくださいますが、病気の原因について、あるいは病気が何を教えているのか、過去について、将来について、あるいは前生についても教えてくれるものではありません。
その点、お道はありがたいですね。尋ねさえすれば教えていただけるのです。そして、病気もまたありがたいものとなります。そこまで、尋ねて尋ねて、はっきり教えていただけたら、病気様様となるでしょうね。
本当に、病気は末代の印ですね。生涯の理を諭していただけるだけでなく、前生も来生も悟らせていただくことだってできるのです。ありがたいことですね。
そこまで分からせていただき、病気を通して親神様に心から感謝し、喜ばせていただき、自分の正しい生き方がはっきりしたら、分かったからもういいよ、とばかり、病気は快方へ向かうでしょうね。(渡部与次郎、「続おさしづに学ぶ – 朝席のお話」、天理教道友社)