互い/\礼言うように成りてみよ。不足ある。丹精する。不足ありて丹精と言えるか。日々丹精という理に成りてくれ。日々皆礼言わにゃならん。(明治32年10月1日)
最近の世相を見るとき、お礼を言う、感謝の気持ちをもつ、ということが少なくなってきているのではないだろうか。
こうして毎日を生きている、否、生かされていることを忘れ、自分ひとりの力で何もかもがあるような言動が多い。したがって、物に感謝し、人に感謝することを知らない。
聞くところによると、小学校で食事の前に「いただきます」を言わないようになってきているらしい。 給食費を払っているのだから、自分のものに「いただきます」を言うのはおかしいと、父兄から言われたからであるそうな。言う人もさることながら、それに対してきちんと対応し、説得できない教師が情けない。
こうした社会では、自己を主張することに汲々として、自分にとって不都合なことは、みな人のせいにしてしまうのである。自分の力で生きているのなら、不都合なこともみな自分のせいであることに気がつくべきであろう。
あなたのおかげ、みんなのおかげと、お礼を言う心が、いまの社会に一番必要なことではないだろうか。家庭にあっても、主人のおかげ、いや妻のおかげ、子供のおかげ、親のおかげと、感謝して通るならば、家庭の崩壊はない。してもらって当たり前、してもらわなければ不足し、文句を言うのが当たり前では、どうにもならない。そんな家庭は、いずれ壊れてしまう。
感謝とお礼が交わされている家庭には、不登校も家庭内暴力も起こらないであろう。家庭は小さな社会。家庭の治まりが社会、ひいては世界の治まりとなる。お互いにお礼を言う心で、明るく日々を通らせていただこう。(安井幹夫、「今日は晴天、今日は雨 おさしづ百の教話集」、天理教道友社)