おさしづ配信

世界のこと道の害にならん

おさしづ配信

「世界の事何しても、この道の害にならせん。一時する事は止めどが無い。天理王命どれから出けたものぞ。年限長く日々理を増す事、どんな中も皆連れて通る。どんな事しても何にも成りゃせんで。」(明治22・7・6)

ご本部の重要な立場の人が道にそむいて事件を起こし、去って行ったこともあったし、いろいろのことがありましたが、どんな事があっても、神様が連れて通ってくださるから道の害にはならんとおっしゃっています。
何年か前、ある週刊誌にお道の中傷を取り上げたものが出ましたが、詳しくは読んでいません。見せる人があっても、読む気はしないのです。
探しだしたら、どんな教団にもあるでしょうね。
明治二十九年に内務省の秘密訓令を出した弾圧の張本人だった人は、後に娘さんが手に負えなくなり、結局東本大教会の初代会長によって更生できたのでした。お道の人以外にその令嬢の精神を救える人はいなかったのでした。
明治時代のおさしづが今の世にも当てはまる、一つの例でもあります。その日付によっては、何年もたった同じ日に同じ内容のおさしづが出ている場合もあって、その日の数にいんねんがあるのかなと思ったりします。当時の背景も知る必要がありますが、無関係に、いつの世にも当てはまる真理を説いているものが多いと言ってよいでしょう。
おさしづは今も生きている、と、何度も思ったものです。これからも永く生き続けていくことでしょうね。(渡部与次郎、「続おさしづに学ぶ – 朝席のお話」、天理教道友社)