おさしづ配信

満足させば世界から

おさしづ配信

このやしきというはどうでも安心さし、人を安心さヽにゃならんが台である。満足させば世界から集まる。満足させば治めにゃならん、治まらにゃならん。満足無くば、表で運んで蔭で一つこんな事と言う。蔭日向ありては鏡やしきとは言えん。(明治26・11・26)

「このやしき」とはおぢばのおやしきですが、その出張り場所である教会や、布教所でもそうあるべきでしょうね。おぢばには本当に世界から人が集まってきて、世界の親里といった感じがしますね。
この布教所へも、毎月延べ二千五百人から三千人の人が集まってきます。海外からも、これまでに十数カ国から百人近い人が来ています。けれども、その数の伸び具合は高原状態で、どんどん伸びていくという勢いではないですね。しばらくそんな状態が続いても、また上昇するというのが普通ですから、もうそろそろ伸び始めてもよいころなのに、ストップしているかのごときは、満足させる理がまだ足りないからだと言ってよいのかもしれませんね。
お道の人はだれでも、その人の前に座ったら、何一つ包み隠すことなく、親子や夫婦でも言えぬことが言いたくなってしまう、というようにならねばいけませんね。安心して話ができる人に。(渡部与次郎、「続おさしづに学ぶ – 朝席のお話」、天理教道友社)