おさしづ配信

精神定めてすれば

おさしづ配信

「一代の処は長いようなもので短い。運んで尽くして居る間は長く、そこで一代の処は長いようで短い。…思うようにならん、これだけ運ぶのにならん、定めて居るのになあ、と思う。それでも精神定めてすれば、重重の理に受け取る。」(明治25・7・4)

明治二十年代には、お道の話に感激して、家業を捨てて道一条に出る人が続々と出ました。二十九年の秘密訓令による弾圧迫害の中も、それをものともせず飛び込む人たちが、なお続いたのでした。
山坂も、茨畔も、崖道も、剣の中も、火の中も、淵中や細道も通り抜けてこそ、往還の道に出られるのですね。これだけ定めてやっているのに、なかなか思うようにならんなあ、という日があろうとも、それでもなお、どうでもの精神を定めて進むなら、神様がお受け取りくださる日が必ず来るのです。
弾圧迫害のひどかった時代のほうが、かえって道が伸びています。明治二十年代、三十年代に、今日の大教会の約七割は出来上がっているのです。その後三倍もの年月で、あとの約三割しかできていないないのは、実に遅れています。続々と道一条に飛び込む人が出てほしいですね。
僕は二十五歳の誕生日を修養科で迎え、修了の時にいつでも道一条に出る心を定めたのですが、定まったらとても楽になりました。それからは、不思議不思議という理を頂いて、もったいないもったいないで通らせていただきました。
たまには家族一同が水を飲んでお腹を膨らませ、結構だなあ、ありがたいなあと言う日もあってよいのだと覚悟したのに、とうとう一度もそうさせていただくこともなくお連れ通りいただいたのでした。
今は海外出ている日本人が何十万人と多くなっているのに、お道の人はその中の一割にもならないでしょうね。お通の神者が三、四百万と低迷しているのでなく、三、四百万のようぼくが海外に出向くぐらいにならねばいけませんね。(渡部与次郎、「続おさしづに学ぶ – 朝席のお話」、天理教道友社)