おさしづ配信

世界の道理上

おさしづ配信

「人間から世界の道理上を通らんならんようにするから、どうでもこうでも、道理上の道を通らんならんように成る。皆心で拵えて(こしらえて)あるのや。」(明治22・11・2)

「世界の道理上」とは、世の中の考え方や常識に合わせることでしょう。それに、神の道以上の重きを置いていると、義理やメンツでどうにも動きがとれなくなり、神一条の理を立てられなくなってしまいます。
これは常々、物事への心の比重のかけ方に誤りがあるのです。心どおりの守護でそうなるのですから、これでは、いざという時、神様にお働きいただけなくなります。
どんな人の力をもってしても、どうにもならないことがあるのですから、日々常々、神一条の務めと人間の義理とがぶつかったら、神一条の務めを優先させることです。
家族がみな、お通を信仰していないと、神一条に徹することは難しいでしょう。しょうがないと思えば、しょうがなくなる理が回るので、家族ぐるみの信仰に進めることができるよう、神様に理を立て切って日々を通ることが極めて重要です。
柔道などの武道では、相手に勝つよりも、自分の心に勝つことの方が大事だと言われます。己の心に勝てたら、相手に勝つことは難しくなくなるでしょう。獅子身中の虫、ということわざがありますが、ライオンでも、外の敵より、体の中の小さな虫にコロリとやられてしまうことがあるということです。私たちの場合も、自分自身の心のほこりがその虫だと思って、少しぐらいはいいだろう、というような甘えを懲らしめ、断じて自分を許さぬ精神が必要です。(渡部与次郎、「おさしづに学ぶ – 朝席のお話」、天理教道友社)