おさしづ配信

一日の計は朝にあり

おさしづ配信

「日々にたんのう一つもして居るであろう。どういう事も思うまい。なれど日々に寄り来る中や、入り来る中や。どんな事も日々、日々理一日の事は、朝一つの理にある。」(明治22・7・3)

教祖が、「幸せになりたかったら庭先に三本の木を植えなさい」とおっしゃったこと、お道の初期に聞かされた人は多いかと思います。幸せの木ってどんな木だろうと思ったら、朝起き・正直・働き(どれも「き」で終わっています)という木だと聞いて、なんだ、そんな木か、と思った人もあるでしょうね。
でも本当に幸せになるための基本となり、土台となる三つですね。
現代人は生活が夜型になり、朝起きの苦手な人が増えています。そして、不眠症からノイローゼになる人も増えています。やっぱり、自然に逆らうのはうまくいかないのですね。都会ほど自然に反して暮らすようになり、田舎から都会に出て、ノイローゼになって帰ってる人も少なくないようです。
おぢばのご本部の朝づとめは、自然のリズムに合わせて、日が昇り初める前の薄暗いころから始まり、おつとめが終わると明るくなっていて、いかにも夜が明けたと感じることができます。
さわやかに朝を迎えられ、自然な運動にもなっているおぢばの朝づとめは、健康にも良いし、夏はごく早いけれども、おぢば帰りしたら欠かせぬ日課の第一ですね。
朝、たんのうの心で一日を出発することは、その日一日を左右するのでしょうね。一家がそろって朝起きして、そろって朝づとめができるということは、本当に大事で結構なことですね。
元日の朝は新鮮な心で迎えられますが、一年のその他の三百六十四日も元日の心で通れたら、教祖の一日生涯の心に一番近いかもしれませんね。
ポール・クローデルは、フランスの大使としてしばらく日本にいましたが、毎朝早く起きて、一時間散歩をし、それから一時間執筆したのでした。朝食の前にやるのです。そのわずか一時間の執筆で、何巻もの詩や評論や劇作集が出来上がっていったのでした。
その朝の一時間しか書けなかったのでしょうが、朝は頭の働きが新鮮で、感性が鋭く、霊感も働いたのでしょうね。一時間といえどもばかにできませんね。(渡部与次郎、「続おさしづに学ぶ – 朝席のお話」、天理教道友社)