おさしづ配信

誠の理を積む

おさしづ配信

「あたゑというは、どうしてくれこうしてくれと言わいでも、皆出来てくる。天よりの理で出来てくる。…あたゑあたゑ、皆誠々の理を積んだ一つの理、…。」(明治26・11・28)
よく子供は、天からの授かりものと言いますが、人間の寿命も、健康も、みな与えられるもので、自分でつくれるものではありません。身につく一切のものは、天の与えであり、積み重ねた徳分に応じて与えられるものと考えられます。
毎日、誠真実の行いを積み重ねていけば、それだけは神様がちゃんと受け取って下さいます。これだけやったのになあ、という求める心があると、その心が邪魔して与えが頂けないこともあります。だから、百パーセント神様にお任せしてしまうことです。
愛町の初代会長様の書かれたものの中に、「誠の心を持つ人の真実は世の中の台」という言葉があります。お道は誠真実を大切にし、誠真実の人になってこそ自由自在の理が頂ける、と教えられます。
それに違いはありませんが、おたすけにおいては、一に勢い、二に誠、とも言われ、勢いが誠に優る場合があります。いくら誠があっても、勢いがなかったら、おたすけがうまくいかない場合もあると考えるべきかもしれません。しかし、真の誠の人には必ず勢いが伴うものです。誠に勢いを添えて、神様の働きを頂くことが望ましいということになります。(渡部与次郎、「おさしづに学ぶ – 朝席のお話」、天理教道友社)