おさしづ配信

いんねん

おさしづ配信

「いんねんという理を聞き分け。しようと思うて成るやない。しようまいと思うても成って来るのが、いんねんの理と言う。」(明治27・5・31)

仏教で言う因縁とお道で言ういんねんとは、共通する部分もあり、違う部分もあるような気がしますが、大事なのは、いんねんの自覚ということですね。
親子となり夫婦となるのも前生からのいんねんであり、同じクラスになるのも、同じ信仰に寄せられるのもいんねん。おたすけ先も、勤め先も、みな同じいんねんです。
ある人は、離婚しかかっていましたが、何回目かの危機にお道を聞いたおかげで、とうとう離婚しないですんだのでした。その人のお店に来る人は、ほとんどが離婚しかかっている夫婦か、離婚した人々であったということです。
また、おたすけに出ているある人は、下半身に障害をもつ人のおたすけに当たる率が高かったのですが、その人は晩年、下半身が不自由になったのでした。
先祖を五代くらい前までさかのぼって調べてみると、自分のいんねんを悟ることができます。その結果、自分自身のいんねんの自覚ができると、たんのうの心も湧いてきます。たんのうの心が出てきて初めて、前生からの悪いんねんが減り始める、と考えていいでしょうね。(渡部与次郎、「続おさしづに学ぶ – 朝席のお話」、天理教道友社)