おさしづ配信

聞き分けの良い人

おさしづ配信

「見分け聞き分けが第一という。… (御供の事伺)…見分け聞き分けが大事やで。」(明治25・6・30)

人の噂が耳に入ったら、自分の目や耳で確かめもしないで、さらに別の人へ噂を流していくうちに、いつしか内容がひっくり返っていることがあります。片方の人の言うことだけでは半分しか真実がつかめないこともあり、もう一方の人の言うことも聞いてみないと、うかうか信用できないこともあります。
自分の目と耳で直接確認してからでないと人には話さぬ、というぐらいにすること、実に大事ですね。
また、同じ汽車の窓から眺める景色でも、百人が見れば百人ともそれぞれ違います。千人の人が一人の講演を聞いても、同じ受け取り方はできないもので、千人千様に聞いております。「受け取る筋は千筋や」と、みかぐらうたにもありますように、みんな自分なりの色眼鏡をかけて見るようなもので、耳に色眼鏡はかけられませんが、かけて聞いているようなものです。
自分の目で見、耳で聞いているはずなのに、結局はいんねんの色付けをされて見たり聞いたりしていることが多いのです。男にほれたとか女にほれたとかいうのも、結局はいんねんに支配されているのですね。だから、結婚したとたんに、えくぼに見えていたあばたが見え始めるのです。
お通の話も、いんねん通りに聞いていることが多いのです。ケチな人はケチな受け取り方しかしませんし、頑固な人は頑固な受け取り方しかしないものです。だから、一言千遍聞け、と言われます。
けれども、聞くだけではどう聞き違いしているかも分からないので、聞いては伝え、聞いては実行して、実証できるようにしないと、確かめようがないのですね。
また、徳がある人とない人とでも聞き方が違います。分かるといってもいろいろの段階があり、十のうち一つ分かっただけでも分った気になる人もあり、九つ分かってもまだまだと思う人もあるようです。
お道の上で聞き分けの良い人、これは成人した人と言えるでしょうね。「見分け聞き分けが第一」とおっしゃるのだから、本当に大事なんですね。無理を聞いていける人、通れる人、それでこそ成人した人と言えるのでしょうね。(渡部与次郎、「続おさしづに学ぶ – 朝席のお話」、天理教道友社)