おさしづ配信

女というは

おさしづ配信

「夫婦の中、男というは胸の広く持って構わん。女というは心の小さい、思わく小さい心持って苦にする。」(明治26・6・7)

男は皆そうで、女も皆そうだ、とは限りません。最近は殊に、男みたいな女、女みたいな男が多くなりました。髪形でも、着るものの色でも、どっちだか確かめてみないと分からないようなのが多くなりましたが、心までそうなっているらしく、心と形は離しがたいものであることの一つの証拠にもなっているのかもしれません。
一般に男というものは、外に向かって広く世界や国のことを考え、女は、子供を育て家庭を治めていくというのが普通でした。今でもそう思ってる人もいるわけですが、共稼ぎが多くなって、考え方が大きく変わりつつあります。
中には全く立場が逆転して、女が外で働き、男が炊事、洗濯、掃除を受け持っているという夫婦も出てきました。主婦でなく主夫になっちゃっている人もいるのです。
でも、いくら逆転しても、男が子供を産むことは永久にできないことです。だから、せめて産み育ては女の人にしっかり、よりよくできる環境がつくられてほしいものです。
男だって育てることはできると言っても、母乳を与えつつ、肌と肌を合わせて育てることはできないので、せめて三歳までは、母親が育児に専念できる社会の体制がほしいものです。
英語では夫婦のお互いをbetter halfと言います。より良き半分という意味です。二人が一つになって一人前なのであって、一人ひとりでは半分なのだ、相手のほうが自分より良き半分なのだと意識して、感謝し合っていければ、良き夫婦ということなのでしょうね。
何と言っても、「この世の地と天とをかたどりて、夫婦をこしらえきたるでな、これがこの世の創め出し」と、おつとめのおうたにもありますように、夫婦は人間世界の土台です。一切がそこから始まります。
男らしい夫、女らしい妻となって、助け合っていけたら、子供で困ることはないはずですが、これからの世の中は、少ない子供でとことんてこずる人が多くなるでしょうね。
おさめさんは、きっと典型的な女心の人だったのだろうと思います。小さいことも苦にするから身上にもなったのでしょう。小さいことにも心を配り、かゆいところに手が届くようにやれることは女として大事なことで、それがあるが故にこそ女らしいのでありますが、心を配るのと苦にするとは違ってくるのですね。
英語のことわざ”Care kills a cat”というのがあります。死ににくい猫でさえも、心配して苦にすると死んでしまうというのです。
ですから、大きく広い心を持てるように、神様にもたれ切ることを覚えることです。反省することは大事ですが、とらわれてはなりません。
どんな人にも欠点はあります。その短所と長所は裏腹なものです。受け取り方によって、使い方によって、その短所は長所につながるものです。長所もまた、その反対に短所につながったりします。
低い柔らかい心、良いとこ取りの心、これによって欠点も長所に変わります。そこを上手に足して補っていけるのが女の値打ちです。一切を良く受け取って、ふしから芽を出していくのが、特に女の人は上手にできるようにできているのですね。
悪いところが九つあっても、一つ良いところがあったら、その一つだけを見て喜んでいけるものです。良い所が九つあっても、いけない一つだけを見たら不足しなければなりません。受け取り方一つで、良くも悪くもなるので、心一つが物種と言われます。(渡部与次郎、「続おさしづに学ぶ – 朝席のお話」、天理教道友社)