おさしづ配信

神の道はきれいな道

おさしづ配信

「何でも神の道は綺麗な道や。綺麗に聞かして満足、めんめん事情それぞれ運ぶ処、満足治めにゃならん」(明治23・11・22)

神の道は親の道であり、その親の思いは子供たすけたい一条ですから、きれいな道なのです。この道が伸びるにつれ、反対攻撃もまた強くなってきました。そこで、人間心を入れると、濁ってしまってきれいな道でなくなりますから、人間思案を入れず、純粋に親の思いを知らせて、相手を満足させてあげることが必要になります。
ただ、親の思いはこうだと言って説けばいいというのではなく、相手に満足していただいたかどうかが肝心ですから、注意しなければなりません。(渡部与次郎、「おさしづに学ぶ – 朝席のお話」、天理教道友社)