おさしづ配信

旬と見たら運ばねば

おさしづ配信

「旬々という。旬が来たら放って置こうと言うても、放って置けん。何ぼしよと思ても、旬が来ねば出来ん。… 旬々が来る。旬と見たら運ばねばならんで。」(明治23・7・22)

作物であれば、種をまく旬は定まっているので、多少の早い遅いはあっても、極端に旬を外すことはありません。しかし、形のないものについては、旬をつかむ、旬を外さぬ、ということは容易でないと思います。
信仰においても、心が澄み切っていれば、鏡に映るように、ちゃんと心に旬が映ってくるでしょう。お道に引き寄せられたお陰で、周りの一切の成ってくる現象から、悟る力をだんだんと頂くことができるのは、ありがたいことです。
旬を外したら、いくら一生懸命努力しても、全く実りが得られない、という場合さえあるので、旬は本当に大切です。いまが旬だと悟ったら、さっと実行に移せるくせをつけておく必要があります。神一条の務めを欠かしたら、たすかる旬を外すのと重なる時もありますから、神一条の務めは断じて欠かさない、という精神定めが大事です。
Sさんは、布教所への務めはしっかりやってくれていましたが、おたすけが足りませんでした。旬が来たら、おたすけをしたい、と思っているうち、おたすけをやらねば通れないと悟ったのですが、急にはできないことが多いのです。だから、ふだんから心がけていないといけないのですね。(渡部与次郎、「おさしづに学ぶ-朝席のお話」、天理教道友社)