おさしづ配信

日々に功積む

おさしづ配信

「日々に勤め日々に功積むという心治めてみよ。何も案じる事要らん。」(明治28・3・3)

日々があって月々があり、月々があって年々があり、年々が集まって一生となっています。したがって、一生も日々あってのことなのです。どこか欠けたら、それっきりです。それで一巻の終わりです。ただの一日、いや五分でも息が止まっていたら、それでご臨終となるでしょう。
ですから、この日々というのが実に大事です。おかきさげには、「日々という常という」という言葉が繰り返し使われています。それだけ重要なのですね。
毎日毎日こうのう(効能)の理を、徳を積み上げていったら、一年には三百六十五回分、十年には三千六百五十回分が積み上がります。楽しみですね。神様にお受け取りいただけるなら、それは確実なものとなります。先へ行くほど楽しみです。
しかし、積み木崩しのようにうっかり崩すこともあるので、よく気をつけねばなりません。特に、あらゆることにおいて後始末をしっかりしないと崩してしまいます。賽の河原の石積みのように、積んでは崩し、積んでは崩しでは、いつまでたっても積み上げることができません。それで一生を終わってはつまらないので、確実に毎日毎日こうのうの理を、徳を積めるような、工夫と努力が必要になってくるのと同時に、崩さぬための心得も身につける必要があります。
それには、ただやればいいのでなく、神様にお喜びいただけるよう、満足していただけるよう、工夫と努力を重ねることが必要です。
それから、陰ほどよけいに真実誠を尽くし、積み上げていくと一層楽しみです。だれも知らないことほど神様がご存じと思うと、喜べるものです。(渡部与次郎、「続おさしづに学ぶ – 朝席のお話」、天理教道友社)