おさしづ配信

日々剛気の心を以て治め

おさしづ配信

どんな事来ても元一つの理によりて治める。日々剛気の心を以て治め。うたていなあという心を持たず治めてくれるよう。(明治26年7月26日)

剛気の心とは、どんな心であるのか、だいたいの想像はつくが、念のため「剛気」 を辞書で引いてみた。 次のように記されている。
「気が強く何物にも屈しないこと。また、そのさま」(三省堂『大辞林』)
この意味だけだとするならば、おさしづのお言葉としては、何かもう一つ、ぴったりとこない気がする。別の辞書を引いてみると、
「剛勇な気性。強くて屈しない意気」(岩波書店『広辞苑』)
とある。こちらのほうが幾分か、お言葉の気分に近いものを感じる。辞書によって、言葉の意味の雰囲気が異なるということに気がついた。
おふでさきでは、
せかいぢうこのしんぢつをしりたなら
ごふきごふよくだすものわない (六号121)
とうたわれる。ここでは「ごふき(剛気)」という言葉は、「ごふよく(強欲)」と並列して使われている。あまり良い意味ではなさそうだ。
もう一つ。「うたてい」とは、大和の方言である。うるさい、という意。あるいは、うっとうしい、もうかなわんなあ、という気分をいうのか。
ここでは、どんな事情を持ち込むやら、何が始まるかも分からんけれど、人間的に見れば、いろいろなことが現れてくるが、それを「うたてい」と思わず、 大きな心で受けとめて治めてくれ、という意味であろう。それには「元一つの理」、つまり、何ごとも神が人間をはじめかけ、そして守護しているということに思案を寄せ、治めていくことが肝心であると指示されたのである。そのことが分かれば、「うたてい」ことはなく、剛気な心になることができる。(安井幹夫、「今日は晴天、今日は雨 おさしづ百の教話集」、天理教道友社)