おさしづ配信

難儀するは可愛一条から

おさしづ配信

「尋ねる時の心というは、いついつ生涯定めると言うなれど、速やかなれば、事情日が経ち、月が経ち、ついつい忘れる。一度や二度は皆許したるなれど、難儀さそう不自由さそうという理は、親々の心には無いなれど、難儀するは可愛一条から。可愛という理から身上に悩み掛ける。よう聞き分け。なれど、だんだん天の理に迫れば、どうもならんようになる。一時定めたと言うたら、何年経っても変わらんのが生涯と言う」(明治28・5・28)

かわいいから難儀苦労させる、身体に悩みかけるという点が、ちょっと分かりにくいかもしれません。でも、親の子に対する心を考えてみれば分かりかけるでしょうね。
悩んだおかげで、親の心がだんだん悟れるようになり、その親心がありがたく、嬉しく感じられるようになれば、悩みはいつしか雲散霧消するものです。困らずに分かれば一番良いのでしょうが、残念ながら、たいていの人は困らないと気がつかないものです。だから、やむなく困らせて教えてくださるのですね。
でも、困った時はどんな定めもしますが、日がたつとついつい軽くし、忘れてしまいます。「一度や二度は皆許したるなれど」とありますが、一度たりとて許されないことだってあるので、油断は禁物です。
ご本席は、奥さんをたすけていただいたご恩生涯忘れませんでした。ただ忘れないだけでなく、その恩返しの実行を一日たりとも欠かさず、生涯やり切ったと言ってもよいでしょうね。教祖のひながた五十年はもちろん素晴らしいが、ご本席の恩返しのご一生もまた、実に頭が下がりますね。(渡部与次郎、「続おさしづに学ぶ – 朝席のお話」、天理教道友社)