おさしづ配信

夫婦中治めるなら

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成ろと言うて成るものやない。又成ろまいと言うても成りて来るいんねん順序は世上へ諭す。…事情有ってたんのうの理治まらん。なれど、世界の理を見てたんのう。成ると成らんと聞き分けて、ほんに世上なあ、いつ/\なあ、その理夫婦中治めるなら前世いんねんのさんげえと諭し置こう。(明治32・9・3)

ここの「世界」とは世の中一般をさし、社会と言ってもよいでしょう。ちょっと見た社会は表面しか分かりませんが、一歩中に踏み込んで見ますと、悩みのない家はないと言ってよいほどであることが分かるものです。
おたすけをさせていただいていると、親にも言えない、子にも言えない悩み、夫にも言えない、妻にも言えない苦しみ、そんなものが、多かれ少なかれどこでもあるものです。それを吐き出していただくには、信頼されていないといけません。信頼されるまで、お話を取り次ぐほうが先なのです。
自分自身のこともさらけ出してお話しさせていただく必要があります。相手が心を開いてくれたら、しめたものです。信仰するしないより、これが先決なのです。
そうしてお話をするようになると、今度はこちらがお話を控えても、相手が進んでお話をしてくれるようになるものです。とにかく、本音を出し合える話し合い、練り合いが大事ですね。
そうやって話し合ってみて、世の中は一軒残らず悩みだらけということが分かってくるのでしょうね。どこからたすけだしたらよいのか、手のつけようのないケースにもぶつかります。身の不徳、非力を悲しく思う時もあります。
人を見て自分のいんねんを悟れるし、現在をみて前生も悟れるようになれば、なおその通り返しとしての、たんのうの心も治まるというものです。
夫婦が仲良く治め合って暮らすなら、前生いんねんのさんげと受け取ってくださるというのは、実にありがたいことです。治め合わないと、悪いいんねんを重ねることになり、自分たち夫婦がうまく通れないだけでなく、子孫末代が合わない夫婦となって、やがて家が没落するところまでいくかもしれません。それでは子供がかわいそうだから、どうでもこうでも治め合っていかねばならないのですね。(渡部与次郎、「続おさしづに学ぶ – 朝席のお話」、天理教道友社)