おさしづ配信

どんな運びも種の肥え

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「一つの理を治めば、どんな理も治まる。治まればどんな花も咲く咲く。種のうちより肥えは、どんな運びも種の肥えというて、心置き無う無う。」(明治22・12・9)

まだ芽の出ない種のうちから、肥料をかけた方がいいわけで、鉄は熱いうちに打て、と言われるのと同じでしょう。
運び三年、つくし三年、理の三年、十年ようよう、とお道では言われるように、まず足を運ぶことを重視します。おたすけにおいてもそうですね。草だらけの野原でも、同じところを繰り返し往復していれば、やがて道ができてきます。絶えず足を運ぶことです。
おたすけ先も、常に三軒ぐらいは持って、毎日行ってもよい家、一日か二日置きに行くのが適当な家、少なくとも週に一度は足を運ばせていただく家を頂けるとよいでしょう。月に一度くらい運ぶのでは、おたすけになりません。
大きな病院には集中治療室というものがありますが、お道のたすけもねらいを定めて、心を集中してかかることが大事です。立っても座っても、寝ても覚めても、どうやっておたすけしたらいいかと、絶えず考えることが必要です。
やがて相手がこちらに足を運んでくれるようになり、にをいがけ、おたすけするところまで成人してもらえたら、初めて一人をおたすけしたことになります。
運ぶと言っても、歩いて三十分ぐらいの距離なら、自分の足を使って運ぶ方がよいでしょう。いまはクルマ社会ですが、歩いている間に、神様がいろいろと心に浮かばせて下さるものです。(渡部与次郎、「おさしづに学ぶ – 朝席のお話」、天理教道友社)