おさしづ配信

普請(ふしん)

おさしづ配信

「普請一条、方角どちらとも言わん。向きもどちらとも言わん。大き小さいこれ言わん。大層思うからならん。皆心を寄せた理を受け取る。」(明治22・3・1)

気学に凝っている人の中には、せっかく新築した建物の一部をこわす人もいます。お道の普請には、おぢばの方角に向かって参拝できるように建てるのが多くなっていますが、神様は「どちらとも言わん」とおっしゃっています。大きいほうが良いともおっしゃっていません。小さいのから始めよと、別のところではおっしゃっています。
難儀大層にし、愚痴や不足をして建てたら、早く腐るかもしれませんね。いや、「ならん」とおっしゃっています。建物が建っても、教会内容がつぶれたら何にもなりませんね。無理は理が無いので、成ってきませんね。
一般の家庭でも、息子が親の意見を立てないで建てると、普請はふしですから、家は建っても、息子が倒れたり親が倒れたりします。家中の話し合いがあって、意見を出し合って一致したところで建てるということが、建物だけでなく、その家が立っていく上に実に大事ですね。
まして神様にお鎮まりいただき、お働きいただく場所を建てるのですから、神様に理を立て、たすけ場所・つとめ場所として何が一番大事かを中心に、頭に立つ人の考えを芯にして、信者一同の一致した一手一つの心から、喜び勇んで、楽しんでつくりあげていくなら、その門をくぐっただけで人がたすかるという建物になることでしょう。
親神様・教祖にお働きいただく場所として、普請の用材、道具、器材の一切にも理が立てられ、信者さん一同の、身も心も尽くし切る真実が込められていくなら、本当に神殿に入っただけで、門をくぐっただけで、不思議とたすかっていくということ、決して難しいことではなくなるでしょうね。
おぢばはすでにそういう不思議な場所ですが、愛町分教会にしても、この愛与布教所ですら、この門をくぐっただけでたすかっている人が二人や三人ではないのですから、はっきり言えることです。(渡部与次郎、「続おさしづに学ぶ – 朝席のお話」、天理教道友社)