おさしづ配信

神一条の道は十分通す

おさしづ配信

「さあさあ神一条の道は、さあさあ十分通す十分通す。さあさあ僅かの間、日が近づけばさあさあ皆々分かる皆々分かる。…さあさあもうこれから先の道は、危なき怖わきは無い程に。さあさあ一条道は何時にても自由自在なれども、さあさあなれど天然自然の道である道である。」(明治21・12・20)

教祖がお姿を隠されたのち、お道は一時、応法の道として神道本局の配下として公認を得ました。それまで、困難な道を通ってきたのですが、ここでは、神一条の道は十分通す、とはっきり宣言されています。
愛町の初代会長様は晩年、生涯を顧みられて、「どんな中も迷わなかったことがよかった」と言われました。迷わぬ一すじ心が大事ですね。
なんでもこれからひとすぢに
かみにもたれてゆきまする (三下り目七ツ)
とみかぐらうたにありますが、このもたれ切る一すじ心に、自由自在のご守護が頂けるのですね。けれども、この道はそれ以上に、求めずしても成ってくる天然自然の道であると言われます。人工的な工夫をせず、天然自然の本来を正しくしていくことが必要でしょう。(渡部与次郎、「おさしづに学ぶ – 朝席のお話」、天理教道友社)