おさしづ配信

可愛は親の理

おさしづ配信

「身はかりものとは、いついつにも諭す。話の理を聞いて、心に治まれば、身は治まる。どうせいこうせい、これは言わん。何でも可愛は親の理。何でも救けにゃならん、救からにゃならんという。」(明治24・12・3)

どうでもたすけたい、でも、どうしろこうしろとは言わない、というのは、おたすけする側にとって、また人によって、たいへん難しいことではないかと思います。親の心で、かわいいと思うから、つい、こうしろああしろと言いたくなるのが普通ですから。
なるべく指図しないで、本人が心から納得し、自発的に動き出すまで、しっかり話し合いをすることが大切なのでしょう。病名によっていろいろ諭すより、病気全般に対する心得、すなわち「身上かしもの・かりもの、心一つがわがの理」ということを、しっかり心に治めることが重要なのでしょう。
子供が病気の場合は、親は自分が病気になる以上に心を使うので、子供の病気を通して親の心得違いに気づいてもらい、親をまず成人させたい神様の思いを、よくわかってもらうことが先決のように思います。(渡部与次郎、「おさしづに学ぶ – 朝席のお話」、天理教道友社)