おさしづ配信

両手で重きはならん

おさしづ配信

「無き処の事情事情、一里何里と言う。歩み難ないと事情から事情、この事情難しい。…片手で物持つ。重いと言う。両手で持てば軽きと言う。両手で重きはならん。これ一つ諭し置こう。」(明治26・4・25)

両手で持っても重いというほどの物を持っては無理になるから、無理はするな、とおっしゃっているようです。無理をするというのは、急いだりあせったりする場合が多いのかもしれませんが、あせっては失敗することが多いので、急がば回れ、ということになります。
神一条の事は急き込めとおっしゃいますが、わが身わが家のことは決して急いてはいけないのです。咳は急きに通じているようです。
一時は一生懸命夢中になる時期があっても、すぐに熱が冷める人があります。そんなのをヤカン信仰と言うのだそうです。湯気を盛んに出して煮えたぎっていても、いつしか熱が冷めて、急にシュンとなってしまいます。
教祖はどんな中も、五十年一日のごとくお通りくださいました。それでなければ、何代もの悪いんねんはなかなか切れません。急がずあせらず、しかも一日もゆるがせにせず、神様にも、どんな人にも堰(関)を設けず、言うべきことと言いたいことは遠慮なく言える人になって進ませていただくとよろしいのですね。特に夫婦は堰を設けず、一心同体に通らせていただくと、荷も軽くなり、咳も出ずに通れますね。(渡部与次郎、「続おさしづに学ぶ – 朝席のお話」、天理教道友社)