この道は俺が/\と言うたて皆んな神の道、神が働けばこそ日々の道である。(明治28・10・7)
お道を聞いていない人には、この「俺が/\」という気分の人は多いと思います。本人はそう思っていないし、それで当たり前と思っているでしょうね。自分で生きていると思っているでしょうから。
しかし、お道を聞いてもなお、この「俺が/\」という気分がなかなか取れない人が少なくないようです。ともすれば「俺が/\」の気分が顔を出してしまいます。
ですから、朝夕のおつとめでその心をチェックして、生かされている真実に目覚め、感謝と喜びを持って一日が通れるように努力するわけです。朝夕のおつとめを家族そろってつとめるということは、実に重大な差を作っていくなあと思います。
人間が死ぬときは、実にあっけないものです。草葉に宿る朝露がポロリとこぼれるごとくにはかないですね。今朝元気でも、夕方には急に突然死してしまうということが最近多くなりつつあるだけに、よけい強く感じます。
ですから、本当に一日生涯の心で、一日一日生かされている喜びを満喫しながら生きていけるよう心がけることが大事なのです。朝夕のおつとめの大切さが一層大きく感じられます。(渡部与次郎、「続おさしづに学ぶ – 朝席のお話」、天理教道友社)