おさしづ配信

末代

おさしづ配信

「さあこれまで長らえて道、どうでも何でもと思うて寄りた一つ精神、精神こうのうという。一つ尋ねる。尋ねる心理は一つ。そこでめんめん心理は末代と言う。この心持って、やれ頼もしいやなあと言う。」(明治35・4・12)

この世の一切、またわが身の生命も身体も、みな神様からお借りしているのであって、自分のものとしてはたった一つ、心だけです。この心一つが物種であり、その心の理が、良きも悪しきも、成るも成らんも左右するのですね。
そして、一手一つの心のたすけ合いは、神様が一番お喜びで、これなくして世界一れつ陽気ぐらしは成り立たなくなります。横には一手一つに、そして縦にも、子供から孫へと連綿とつながってこそ、本当の一手一つとなるのです。
この道は一代限りと思うたら頼りないが末代の道である、というおさしづはたくさんありますが、そのとおりですね。
はやりに乗って、結婚すると親と別居するという形をとるのは、間違いでしょうね。親からしてそんな考えを持ってはなりません。亀の甲より年の劫と、昔から言われています。伝統の良さと新しき良さとが、二つ一つの理で共生してこそ、末代たのもしい家庭ができるのでしょうね。(渡部与次郎、「続おさしづに学ぶ – 朝席のお話」、天理教道友社)