おさしづ配信

たんのう

おさしづ配信

「これだけ信心して、身に不足なるとは思わんよう、持たぬよう。身上不足なってたんのうは出来ん。…たんのう親々一つの理も聞き分け。」(明治31・3・8)

子供十五歳までは、すべて親に責任があるのであり、親の心次第で良くも悪くもなります。だから、一切は親自身の心一つにあるので、そのことが十分分かれば、不足の心が出るはずがなくなります。
それどころか、病気のおかげで、親が知らず知らずに使う心のほこりの結果が子供の病気となって出てくるのである、ということがはっきり分かると、かえって病気がありがたくなるものです。
病気のおかげで心得違いも分かり、本当の人間の生き方に一歩近づくことができ、病気して本当によかった、ありがたかった、という気持ちになることができるのですね。
その感謝と喜びの心が治まれば、たんのうできたことになり、たんのうは前生いんねんのさんげともなって、運命も変わり始めます。運命なら仕方ない、と泣いてあきらめるのでなく、たんのうの心が治まることによって、運命までも変えていけるのですね。
これは医薬にはできぬことであり、お道ならではの喜びでもあるでしょうね。(渡部与次郎、「続おさしづに学ぶ – 朝席のお話」、天理教道友社)