おさしづ配信

たすけと言えば、皆修理肥やしの理

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たすけと言えば、皆修理肥やしの理である。一寸には救けるようなもの、肥をするようなもの。だんだんの肥を置く、根が差す、芽が吹く、芽が出る、又芽が出るようなもの。成るだけ尽くして一時どんならんという。運び掛けたる処、一時早く事情、早く肥をしてやるがよい。どんな芽が吹くやらこれ知れん。(明治23・7・1)
作物は、肥料によって生育の仕方が大きく違います。肥料が効いている間はよいのですが、効かなくなったら、すぐに補給しなければなりません。
たすけも修理肥やしの理と言われています。肥がなくなれば、信仰も元に戻ってしまうので、一時はたすかっても、うっかりしている間に、その人からお道の心が抜けてしまっている場合があります。おたすけを続けていないと油断できません。
また、せっかく肥を置いても、心次第では肥を取ってしまうような結果になる場合があります。おたすけという心の肥料は、本物の肥料より置き方が難しいものです。不足心でしたり、愚痴をこぼしたりしては、置いた肥料が無駄になります。それなら、最初からしないのと同じです。
声は肥だと言われます。だから、ちょくちょく声をかけるのは実に大事なことです。早くから声をかけて、だんだんとつないでいけば、どんな楽しみの芽が出るかわかりませんね。(渡部与次郎、「おさしづに学ぶ-朝席のお話」、天理教道友社)