定めるも定めんも定めてから治まる。治めてから定まるやない。…定めて掛かって神一条の道という。(明治24・11・3)
どんなひどい病気であろうと心配する必要はありません。心一つでどうにでもなるのですから。その心が一番大事なのです。神様が病気を通して何を教えてくださっているか、それを悟って、それを全うするよう定めることが大事です。
治ったらこうします、ではなく、こう定めましたので、それを守れるように、足していただきますように、とお願いするのです。「定めてから治まる」のです。
おたすけの名人と言われた東本大教会初代の中川よし先生も、初期のころはたすけっぱなしでした。ところが、ただたすけてあげるだけでは結局たすかっていかないことに気づき、ご恩返しの道を定めさせて、それを守っていくようにさせてあげねばいけないと悟り、方針を変えたのでした。そこから今日の東本大教会となったのでした。
多くの人は病気だけたすかればよいと考えるのですが、病気になる元がなくならない限り再発したり転移したりするのだし、また事情の悩みに出たりするので、その元をなくすことが必要です。
その元をなしているのがいんねんであり、結局は心が種となっていんねんをつくっているので、その心の入れ替えができればなりません。
そうなると、一朝一夕にはできないのです。それこそ何代もかかるのです。病気災難をなくするだけでなく、その根もなくさねばならないのです。そうなってこそ、本当にたすかったと言えるのですね。そこまでやり切ることが必要です。(渡部与次郎、「続おさしづに学ぶ – 朝席のお話」、天理教道友社)