おさしづ配信

身体はかりもの

おさしづ配信

「かりものめんめんものなら、思うようになる。思うようにならんがかりもの。」(明治32・4・2)

仰せのとおりですね。神様が何のために身体を貸してくださったのかというと、世界一れつ陽気ぐらしができるように、その身体を使わせていただくためである。こう教えていただくと、そうに違いないと、人間ならだれでも思えるでしょうね。
朝のおつとめの時、今日もまたその目的に少しでも添うように、このように通らせていただく予定ですと申し上げ、それを夕づとめの時に振り返ってみて、守れていなかったり、足りなかったりしたら、その埋め合わせを少しでも寝る前にさせていただくこともできます。
朝夕のおつとめのたびに、かりものに対するお礼を申し上げるのが第一ですが、うかうかと暮らさぬよう、朝夕のおつとめでチェックできるということ、実にありがたいことですね。
かりものであるからには、いつ返せと言われるかもしれません。夜寝ている間に返す人もあります。今は働き盛りの人たちに突然死が多くなっているそうですが、どんな理由があろうと、返せと言われれば返すほかないのですね。
お借りしていることを心から感謝し、お礼を申し上げながら、目的に添うように大事に使わせていただいていれば、むやみに返せとは言われにくい、ということは言えるでしょうね。
けふの日ハよこめふるまもゆたんしな
なんどきとんな事があるやら (十二号43)
と、おふでさきにありますが、朝夕しっかりおつとめをして、油断なく通らせていただくことが、実に大事な時代になっていますね。(渡部与次郎、「続おさしづに学ぶ – 朝席のお話」、天理教道友社)