おさしづ配信

修行

おさしづ配信

「銘々身上磨きに出るのが修行。…心の身を磨きに出るのや。修行、大切に扱うては修行にならん。そら水汲みや、掃除や、門掃きやと、万事心を磨くのが修行。」(明治23・3・17)

心を磨くのに、大事大切にされたのでは磨けるわけはありません。ですから、難儀や苦労をさせていただき、それを楽しめるところまで行かねばなりません。
人間は死ぬまで勉強です。これでよいというところは、あるはずがありません。愛町の初代会長様のようなお方でも、常に修行をなさっていたと思います。
神様に受け取っていただき、お働きいただけるようになること、これが一番の修行の目的と言ってよいでしょうね。心が磨かれ、徳が積めてくると、今まで悪く受け取っていたものが良く受け取れるようになります。反対や邪魔をされるところへこそ、進んで運ぶ心にもなります。それが一番磨かれる元でもあります。
こちらは磨かれますが、相手はこちらの悪いいんねんまでもらってしまいますので、早く気づいてもらい、心を入れ替えてもらい、しっかりお詫びし、その埋め合わせをしていただくことが大事です。
僕は疑っただけで三度もお詫びをさせられましたので、もう二度と疑うまいと決心したのでした。疑っただけでもそうなのですから、お道の上の愚痴不足はそれよりいけないこと明らかです。断じてなくすことですね。(渡部与次郎、「続おさしづに学ぶ – 朝席のお話」、天理教道友社)