おさしづ配信

救けるという心が無くば

おさしづ配信

「この扶け合いどうでもこうでも、成らん事情の扶け合い、何程救けようと思うても、理が無くば救ける事出けん。又一つ何程あっても、救けるという心が無くば、救けられはせん。」(明治30・9・25)

たすかりたいではたすからん、とよく言われます。「救ける理が救かる(おかきさげ)であり、「人たすけたら我が身たすかる」です。
たすかるかたすからないかは、紙一重の差で分けられます。家族の中に、どうでもこうでも、何を捨ててもたすけたい、という真実の人が出てこないと、重い病気の場合はたすかるのが難しいですね。たすかりたいと思う人と同じくらい、たすけたい思いの強い人が出てこないといけません。
個人でも、たすかりたい心と、たすけたい心のどちらが強いかで、ご守護に差が出ます。たすけたい心を強くしないと、助からないのです。(渡部与次郎、「おさしづに学ぶ – 朝席のお話」、天理教道友社)