おさしづ配信

どんな難儀も通り抜けて

おさしづ配信

「心にしっかり、どんな難儀もいばらぐろうも不自由も通り抜けて、楽しみと思え。」(明治32・11・17)

どんな難儀不自由な道も通り抜けたら、楽しみの道になるに違いありません。しかし、通り抜けるまでが大変です。
難儀不自由とは言っても、いんねんを見せられる場合と、人をたすける中での場合とがあります。どちらも苦労ではありますが、いんねんから来る場合は、いくら苦労しても自慢にはなりません。どうせ同じ苦労の道を通るなら、人をたすけるための苦労をする方が利口です。先の楽しみとなります。人間心でする苦労と差し替えていただけます。
教祖は「月日のやしろ」となられてから五十年の間、人間の目からすれば、ただの一日も、結構だなあと思えるような日はありませんでした。その中を教祖は、明るく陽気に、勇んで通られ、世界人類のために陽気ぐらしのひながたをお示しくださいました。
愛町の初代会長様は、自分が苦労するほど人がたすかったので、苦労が楽しみになっていき、「難儀が結構、苦労が財産」と、よく言われました。天理教を信仰したばっかりに、こんな余計な苦労をしなければならないのか、と不足するような苦労が、実は値打ちがあり、それを喜んで受けて通ってこそ、たすけられていくのです。おたすけこそ、尊い苦労ですから、頑張っておたすけに励むことですね。(渡部与次郎、「おさしづに学ぶ – 朝席のお話」、天理教道友社)